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60年日米安保条約と72年沖縄返還協定における日米・核持込密約を直ちに廃棄せよ!!



日本への核持込を示す決定的証拠

 

          

 

10月7日、時事通信、毎日、朝日を初めとする各新聞社は、ほぼ同時に、「1969年の米国との沖縄返還交渉において、1972年日本返還後も、核兵器の持込みを容認する秘密協定が日米間で取り決められていた事が、最近、機密指定を解除された米国の公文書から明らかとなり、密約の存在について否定を続けてきた日本政府に、決定的な証拠を突きつけた」と報じた。(資3.参)

 

日本大学、信夫隆司教授が8月米国立公文書館で発見した、69年11月19日からの日米首脳会談を前に、キッシンジャー補佐官がニクソン大統領に宛てた報告書がそれである。佐藤首相の代理人である若林敬との間で「沖縄返還後の米国の核持ち込み」を「秘密の日米合意」と取り決めた記述である。故人となっている若林は、すでに94年に出版した著作で、其のことを明らかにしているが、日本政府は、一貫してその事実を否定してきた。しかし今回、核密約を交渉した米国側の当事者の公文書によっても、それを裏付ける結果となったこの事実に対し、日本政府は、もはや言い逃れることは断じて許されないはずである。

 

9日夜首相官邸での記者会見で、福田が言ったことは「今まで何度も言われてきたが、わが国としてそれを認めていない」と言うものであった。同日、官房長官の町村も「米国は米国なりの(情報開示の)ルールや考え方があるのだろうから、わが方からこれはどうだ、とやるつもりはない」と言った。(10月10日、読売新聞)。この一見、難解さを装った発言に、それほど深い意味がある訳でもない。

彼等は二人とも、これまで、その疑惑を二度三度と取りざたされてきたものが、今度は、一方の当事者の「政府公文書」によって白日の下に晒され自分たちの国家犯罪の罪状認知を、それ以上追及することも出来ない記者たちを嘗め切って、「認めない」、「するつもりはない」とまともな回答を拒否しただけである。

 

40年間にわたり、国民を欺き続けてきた彼らの犯罪行為は、過去の行為ではない。米国の核兵器を、今も、日本の領土に日常的に持ち込むことを許していると言う、現実の犯罪行為なのである。しかし、その記者会見の場には、国民に虚言を弄し、繰り返し真実を隠し続ける権力者どもに対し、国民の為に真実を明らかにしようと、気迫ある質問で追及する記者たちの姿はない。国民を愚弄する福田と町田の発言を、芸能人に質問するリポーター記者のような気楽さで、受け賜っている大手新聞社やメディアの記者の、腑抜けた姿があるだけだ。もはや逃れることが出来ないはずの国家犯罪を、最後まで追及するのが大新聞やメディアのジャーナリストたちの、使命と役割ではないのか!!

 

 


40年間、国民を騙し続ける、日本政府の国家犯罪

 

 

 

ついでに言えば、佐藤栄作はこの沖縄返還交渉にかかわる国会決議を通じて、核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」と言う「核三原則」を日本に於いて確立したとして、1974年「ノーベル平和賞」を臆面もなく受賞した。1971年、衆議院での「非核三原則決議は」、それまでの政府声明を国会の決議とし、この原則を「有効なものとするために、国民の総意として内外に鮮明にすることは、きわめて大きな意義がある」(決議文)と表明し、佐藤以下歴代政府の不動の政策として、“ことばの上では”守られてきた。しかし「持ち込ませず」の原則は、その当初から、国家権力によって反故にされていたのだ!この、日本の国民と世界の人々を欺いて手に入れた賞は、金を払って買ったニセ大学の学士号ほどの価値もない。佐藤家と安倍家は、この沖縄核秘密の欺瞞の責任を取り、今からでも遅くないから、栄作のノーベル賞の返還を申し出るべきである。

 

 

この核持込み密約を、国民を欺いて受け継いできた国家権力は、一方で、国民に対する核持込み受容の世論操作を画策していた。現首相、福田は、小泉内閣の官房長官時、2002年5月31日、記者に対するオフレコ発言で、「非核三原則は、国際情勢が変化したり、国民世論が核を持つべきだとなれば、変わることが有るかもしれない」と主張、内外に報道され、小泉内閣による「政策転換」として非難が沸きあがると、6月3日の記者会見で「(そんな発言を)言うはずがない」と否定してみせ、小泉も福田の発言を「別にどうと言うことはない」と、擁護したのである。2006年10月9日の北朝鮮核実験にかこつけて、麻布外相・中川政調会長 など安倍政権と、自民幹部の「核武装発言」もそうである。人類史上初めて、二度に亘る、核爆弾による無差別大量虐殺によって、二十五万以上の国民の犠牲を経験した日本国民こそ、この兵器の力が持つ、とてつもない非人道性を糾弾し、この核兵器を、持たざる国への最大の力の支配と恫喝の手段とする国家の非道理を、世界の民衆の先頭に立って、批判する権利と義務を行使しなければならないはずだ。

 

 


米国の核先制攻撃を支える日本政府

 

 

 

2000年,NPT(核不拡散条約)再検討会議は、核保有国による「核兵器廃絶に向けての明確な約束」としての核軍縮の履行を前提として、非核武装諸国との間に合意を生み、核武装のこれ以上の拡散を抑止させようとするものであった。しかし、2005年再検討会議は、最大の核保有国米国の、突出した合意事項不履行を明らかにした。「核戦力の現代化は、NPT合意違反にあらず」と、核弾頭の更新、地中貫通型を初めとする、新型核兵器の開発、核戦力増強計画と、核兵器の小型化による通常兵器的使用を正当化した。また非核保有国に対する核不使用の言明も拒否。


2005年5月、公になった「統合核兵器作戦ドクトリン」では、核兵器の先制使用の具体例を想定研究しているのだ。すでに米国は、1951年朝鮮戦争時に核使用に言及したし、1963年ケネディー政権時には、「インドを中国の攻撃から守るため」核兵器の使用が必要だとした、63年5月9日開かれた国家安全保障会議(NSC)でのマクナマラ国防長官の発言の録音記録を、ボストン、ケネディー図書博物館が公開したことも報じている(05.7,25.AFP時事)。また最近では、06年7月10日号の「ニューヨーカー」誌で、米国のジャーナリスト・セイモア・ハーシュ氏が、「ブッシュ政権がイラン中部・ナタンツの、ウラン濃縮工場を戦術核兵器で攻撃することを計画していた」と暴露している。(06.7.14 ワシントン赤旗紙外信)

 

日本の国家権力が、「大量破壊兵器」の存在をでっち上げ、国家への侵略と破壊を正当化する米国の政策に同調し,非核武装国を脅す手段として、常に核兵器攻撃を準備すると言う、不条理極まる米国の核政策を批判せず、あまつさえ、その核持込みを許容してきたことは、日本の民衆のみならず極東と世界の民衆に対して、万死に値する行為と言わねばならぬ。

 

 


核三原則と核廃絶は、日本民衆の理念

 

 

 

日本の国家権力は、米国との核持込み密約によって、オキナワを、極東から中東を結ぶ「不安定な弧」(米帝国主義者の表現)を絶えず睨む、アメリカ帝国主義の巨大な核武装基地にしてしまっているのだ。福田の言う「国際情勢が変化」するときこそ、逆に日本の「核三原則」に基づいて、核兵器の使用を阻止し、核の廃絶に向かって立ちはだかるのが、唯一の被爆国家として、日本の国民のみならず核の恫喝に晒された世界の民衆から、負託された日本政府の義務ではないのか。米国の核持込み密約を堅持する福田にとっては、そんなことはハナからやる気は無いのだろうが、しかしそれで、この国家権力の40年に亘る犯罪行為がこのままで済まされるはずはない!!

 

米国による、核兵器の日本への持ち込みは、この、「沖縄返還時に於ける核持込み密約」に限定されたものではない。2000年以降、2007年の今日までの間に、次々と解禁されてきた、米国の外交公文書や国防総省の各部局の日米関係文書は、1960年の日米安保条約の締結を挟んで、この軍事同盟の中で、米軍基地が従来以上の機能と体制を持って存続するに当り、在日米軍と、日本に寄航する米軍の艦船及び軍機の核兵器による武装に支障があっては為らないと考え、その保証を日本政府との秘密取引で担保して来た事を明らかにしている。まさに、1972年の沖縄核密約は、1960年、新日米安保条約の締結を基点として、「日本本土への、在日米軍の核持込みを容認する、秘密取引の延長線上にあった」と言えるのである。

 

 


事前協議から、核兵器持込をはずした、日米密約

 

 

 

 

06年8月「日米核密約」に関する新文書を公開した米国民間調査団体「ナショナル・セキュリテイー・アーカイブ」は、1968年10月8日付の米国防次官補室作成の機密文書によって、核を搭載した米艦船が、日本に事前協議もなく自由に出入りしていることを明らかにした。「事前協議なしの“持込み(イントロダクション)の禁止とは、日本の領土に核兵器を置くか設置するという狭い意味であり、米国艦船に搭載された核兵器が日本の領海や港湾に進入(エンターリング)する場合には適用されないと米国が解釈していることについて、共通の理解が存在する・・・・実際には米国艦船は定期的に、そうしてきた。」(資1、資2 参照、)と。

 

これは、1960年日米安保調印直前、「討論記録」の表題に収められた日米密約の米国による記録文書の一部である。核兵器基地の建設は事前協議の対象だが、核武装した艦船の寄港、軍機の飛来は、事前協議も報告も、その必要がないことを明確にしている。核を搭載した艦船は日常的に、沖縄はもちろんのこと、日本本土の各港と、米軍機が飛来する在日米軍基地と日本の空港に出入りしているのである。すでにこの、「60年安保核持ち込み密約」とも言うべき「討論記録」の全文は、すでに2000年3月8日の日本共産党不破委員長の党首討論資料ならびに4月13日の「日米核密約記者会見」資料によって暴露されているが、これらの資料の真実性を明らかにするばかりでなく、新しい事実を更に加えて補強していると言えるのだ。(資12~16 参照。及び、資17 参照)

 

 


横須賀市民を騙し続ける国家権力の説明

 

 

 

核を搭載した米海軍の攻撃型原子力潜水艦の寄港が、06年だけでも15回におよび、原子力空母の母港となっている横須賀市が、78年(昭和53年)以降、毎年のように、寄港する米艦船の核搭載疑惑に関して国家に問い合わしている記録がある。(資11 参照)

74年(s・49年)9月、米議会原子力委員会でのラ・ロック退役海軍少将の証言および、78年(s・53年)2月、クレーター米海軍長官の下院軍事委員会での証言が、いずれも日本に出入りする米艦船が公然と日常的に核を持ち込んでいることを明らかにした事実に対して、横須賀市は、日本政府に対しその事実関係の究明を、つぎのような立場から要求している。「日本は、核三原則を堅持しており」また「核兵器の持ち込みは、日米安保第六条の実施に関する交換公文により、装備における重要な変更として事前協議の対象となっている」はずであるが、この事実はどうなのかと。

 

政府の回答は、「これまで、米国政府から核兵器の持込みについて、事前協議を受けたことが無いから、核兵器が持ち込まれていないのは明白である。」と言うものであった。これは、その後の全ての政府答弁で、繰り返えされた内容である。

 

しかし、国家権力は、核兵器の日本国内への持ち込み自体を、はなから、「事前協議の対象から除外」することによって、「米国による事前協議が無いのだから核兵器は持ち込まれていないのは明白」だと言う、子供でも見抜くような欺瞞方程式で、横須賀市民と全国民を誑かしてきた。しかも、その行為は、日本と米国の国際法としての日米安保条約の「事前協議」条項において、虚偽の取り決めを行ったことに他ならない。日本国民を騙した国家犯罪ではないか。それを明らかにした資料は、いままでも、すでに無数に存在している。

 

 


日本国民を騙すための日米謀議の歴史

 

 

 

 

1960年日米安保条約締結を前に、1959年6月の米国務省報告(資16 参)は、「合衆国は、この取り決め(核持込を事前協議の対象としない)についての一定の共通解釈を、秘密の交換公文として定式化することを望んだ。しかし日本政府が、いかなる秘密取り決めの存在も否定出来るようにする為、これらの了解は、最終的には秘密の「討論記録」の形を取る事になった。」と、国民を誑かす方法を臆面も無く謀議している。

 

さらに、1961年6月14日 米国国務省作成文書(資14 参)は、「日本との条約取り決めでは、核兵器が日本に「持ち込まれる」まえに、日本との公式協議を必要とするが、実際には日本政府は、日本を通過する艦船と航空機に積載された「核」兵器については、関知しないと秘密裏に合意している。日本国民は、この秘密合意については知らない」と、事前協議条項の虚偽の取り決めが両国の秘密合意によって行われたことを、あきらかにしている。

 

そして、1972年6月17日付、「横須賀の空母母港化問題」についての、レアード国防長官からロジャーズ国務長官宛書簡(資15 参)で、「この問題(核持込)に関する日本政府とわれわれの交渉記録は、きわめて明確である。ライシャワー大使が1963年4月にこの問題を大平外相と協議したさい、日本の水域や港湾に入った艦船に積載された核兵器の場合には、事前協議条項は適用されないとの同大使の見解を、大平(外相)が確認した。


その後どの日本政府もこの解釈に異議を唱えていない。」と言うのであるから、横須賀市に対する国家権力の回答は、1から10まで出鱈目だったのである。即ち横須賀は1960年以前も、以後の今日までも、核兵器搭載の艦船が自由に出入りする、米国の核基地であることが暴露されたのだ。

 

 

 

日米核持込密約を直ちに廃棄せよ!


日本の空港と港湾に出入りする米国艦船と航空機の核兵器持込を、検証可能な方法で調査せよ!!


横須賀の米軍・原子力母艦母港化を直ちに中止せよ!!

 

 

 

今回の(沖縄返還交渉における核持込密約)米国公文書、及び2006年9月の米国の民間調査団体、ナショナル・セキュリティー・アーカイブが明らかにした資料(資1~2参)は、2000年以降米政府によって公開された公文書や資料を、更に補強し、付け加えるものばかりである。日本の国家権力は、当時も今も、一方の当事者が認めざるを得なかった密約の証拠すら、突きつけられても、なをシラを切っているが、かかる国家の継続的な犯罪行為を放置することは、決して許されるべきではない!この国家犯罪に対する野党の追及は、どうなっているのか!マスメディアの対応は(一部地方紙を除いて)、今更、分かりきった事実だと、いつもの形だけの「抗議」をおこなって、この国家の犯罪を容認しているだけである。

 

密約がないと言うならば、米国政府に対し、その公文書の真偽を確かめなければならないはずだ。それさえ拒否を決め込む福田政府にたいし、メディヤと野党、そして国民は、いまこそ、この犯罪行為を糾弾する具体的行動に取り掛からなければならない。

 

日本政府が核の持込が無いと言うなら、日本の空港、港湾、に出入りする、すべての米国の軍機、原子力航空母艦、原子力潜水艦、イージス艦および沖縄を含む在日米軍基地に対する、検証可能な方法と手段による核兵器調査を国民に約束し実行すべきである。

 

野党は一致して、国会において、政府が直ちに米国に対し、核持込み密約に関する公文書の真偽を確かめる責任を履行させるべきである。日本政府は、安保条約における「事前協議」に対する虚偽の取り決めに関し、国民の前に明らかにし、今日までの全ての経過を報告する責任がある。

 

全ての野党は、今国会において政府の責任を徹底的に追及すべきである。

 

 

次に、沖縄返還交渉において、核武器持ち込み密約とともに、返還協定におけるもう一つの密約と、それに関連して返還協定において虚偽の条項をとりきめたと言う問題にも触れなければならない。当時毎日新聞の西山記者の取材によって暴露された事実がそれである。

                 


                                                    2007年10月24日(続く)

 

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-07/2006090701_02_0.html

資1.赤旗  米政府の新解禁文書判明 核搭載艦の定期入港 06・9・7 

 

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-09-07/2006090704_01_0.html
資2.赤旗 米政府の新解禁文書  日本への核持込み、米国防総省が証明 06・9・7


http://www.asahi.com/politics/update/1007/TKY200710070118.html

資3.朝日コム 07・10・7 


http://www.okinawatimes.co.jp/day/200602091300_01.html 

資4.沖縄タイムス 06・2・9

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200602251300_03.html

資5.沖縄タイム 06・2・25

 

http://www5.hokkaido-np.co.jp/syakai/okinawa/   

資6.北海道新聞 外務省元局長が「沖縄密約」を証言  06・2・8

 

http://www.videonews.com/press-club/0704/001057.php

資7.毎日新聞元記者・西山氏の外人記者クラブでの講演 07・4・26

 

http://www.okinawatimes.co.jp/day/200703281300_02.html

資8.沖縄タイムス 07・3・28

 

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19710617.T1J.html

資9.沖縄返還協定条文  71・6・17

 

http://www.gensuikin.org/mt/000067.html    

資10.久間発言 核搭載艦船容認発言と政府の対応 06・12・22

 

http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/kithitai/08/index.html

資11.核搭載艦船に対する、横須賀市の対応の歴史 ・

 

http://www.jcp.or.jp/seisaku/gaiko_anpo/2000414_mituyaku_fuwa_yosi.html

資12.赤旗・資料 00・4・13発表

http://www.jcp.or.jp/seisaku/gaiko_anpo/2000309_147_kaku_siryo.html

資13.赤旗・資料1 00・4・13発表 

 

http://www.jcp.or.jp/seisaku/gaiko_anpo/2000323_kaku_mituyaku_2.html

資14.赤旗・資料2 00・4・13発表 

 

http://www.jcp.or.jp/seisaku/gaiko_anpo/2000330_kaku_mituyaku_3.html

資15.赤旗・資料3 00・4・13発表

 

http://www.jcp.or.jp/seisaku/gaiko_anpo/2000414_mituyaku_siryo_4.html

資16.赤旗・資料4 00・4・13発表 

 

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/073/0110/07310140110004c.html
資17.衆議院国会議事録 核持込みを認めたラロック証言についての外務委員会質疑 74・10・14